君の好きなとこ




 扉は乱暴に開かれた。
 ……かと思えば、すぐさま無理矢理な力で閉められて、さらには閉まった扉に蹴りでも入れたような音がする。
 最近では日常茶飯事とも云えるそれは、普段ならば眉を顰め騒音だと苦情のひとつでも出したいものであったが、けれどそこに見慣れた姿があることを考えてしまうと気持ちは弛み苦笑さえ零れてしまう。
「……またやられたのかい?」
 振り返りざまに問うと、蹴りを入れたまま忌々しげに扉を睨みつけていた彼は舌打ちをして足を下ろす。
 短く切りそろえられた、真っ直ぐな金の髪。ビリーが間近で見てきた金髪とは全く違う質の、けれど愛しいその人は親の仇にでも会ったような顔のままビリーへと振り返った。
「あの野郎、人を馬鹿にしやがって……!」
 ああ、負けたのか。
 最初から予測はついていたことだったが、彼の反応で予測は確信に変わる。
 ビリーの手元にあるスケジュールの通りならば、この時間の前にはオーバーフラッグスのメンバーはシミュレータを使用しての演習を行っていたはずだ。
 どんな形の演習であったのかまでは流石にビリーにはわからないが、おそらくそれはメンバーをチームで分けて行われたものだったのだろう。
 でなければ、彼がここまで荒れる理由には至らない。彼が――ジョシュアが、誰かに負けてこれほどに荒れるとき、相手は決まってただひとりだったからだ。
「お疲れ様」
 当たり障りのない言葉で微笑んで、机の端に置いてあった未開封のボトルを近距離ながら放り投げる。
 憮然とした顔でそれを受け取ったジョシュアは、けれどこれ以上ビリーに云ってもどうなるものではないとわかっているためだろう、キャップをあけると乱暴な仕草で中身を呷った。
 半分ほどを一気に飲み干し、親指の腹で口元を拭うと、ジョシュアは短く息をつく。
「……クソッ」
 相当に悔しいのだろう。落ち着こうと努力している様は見て取れるが、落ち着きかけた途端に苛立ちがぶり返している様であることも同時にわかり、自然ビリーの微笑を誘う。
 彼の苛立ちの根本的な理由にある存在を、ビリーは知っている。
 その人の名はグラハム・エーカー。
 フラッグのテストパイロットとしてビリーの前に現れた彼とは、もう七年の付き合いになる。
 共に過ごした時間はジョシュアよりも長く、そしてグラハムに関するデータならば誰よりも知っている自負もある。
 だからこそ、わかるのだ。ジョシュアがグラハムに勝てないことを。グラハムは強い。誰よりも速く強くありながら、彼は決して努力を怠らない。
 ジョシュアにも高い能力はあり、彼もまた人知れず努力する人ではあったが、それでも未だグラハムには及ばなかった。
 特に、ことフラッグに関してはグラハムに敵うものはいない。時にはジョシュアがグラハムに拮抗する場面もあったが、それでも最後にはグラハムが押し勝ってしまう。
 仕方がないだろう、とビリーは思う。グラハムは誰よりも長くフラッグに乗り、誰よりもフラッグを間近で感じてきたパイロットでもあるのだ。
 アラスカ基地のエースであったとはいえ、フラッグには二年も乗っていないジョシュアがグラハムほどにフラッグを理解しフラッグを巧みに操ることができるとは容易には考えられない。
 だから、負けてここまで悔しがることはないのだ。
 現に他のフラッグファイターたちは、負けたというその結果こそ悔しがるが、その悔しさとグラハムに対する苛立ちとを混在させてここまでの衝動を生むことができるのはジョシュアだけだ。
「ジョシュア」
 名を呼ぶと悔しげな表情そのままに、けれど意外と素直にビリーの方へと顔を向ける。
 普段は余裕ぶった表情やいくらか高慢に振舞うことの多いジョシュアだけに、その様子はいかにもビリーの微笑を誘ってやまない。
「僕は、そんな君が好きだよ」
 素直に零した言葉に、思いきり怪訝な顔をされるのは非常に心外だ。
 けれど、
「……わかってる」
 拗ねた子どものような表情で視線を逸らせて呟く彼が好きだ。
 そうして微笑んでみせると、居心地の悪そうな顔で踏み出してくる。ビリーの顎が掬われ、その唇に口づけが落とされた。
 触れるだけの、キス。ここではそれしかできない。
 それでもあれだけ乱暴に部屋に入ってきておきながら、こんなときの仕草はやけに優しいのがジョシュアだ。
 そんな君が好きだよ。
 声には出さず、想いだけを唇に乗せて。


 あのグラハムに負けて本気で悔しがる君が好き。