愛のカタマリ 【前】
<ビリー31歳説前提>
グラハムにとってビリーは生まれたときからずっとお隣さんで、幼馴染であり兄弟であり親友でもある存在だった。
年齢は4つも離れていたし、幼い頃からすらっとした長身なビリーに対してグラハムはいつだってクラスメイトの中でも平均以下の身長だったけれど、ビリーは他の上級生のようにグラハムを子ども扱いはしなかった。小さなときは兄としての顔が強かったけれど、年を経るごとにグラハムをひとりの男として認めてくれているのだとわかった。 大好きだった。憧れていた。 そんなことはありえないとわかっていても、どうしてかビリーとだけは、ずっと一緒なのだと思っていた。 「ビリー聞いてくれ、カレッジの入学試験に受かったんだ!」 グラハムが自宅から飛び出すとそこにはビリーがいて、ああやっぱり自分たちはこういう運命なんだとグラハムは思った。 「本当かい?」 突然飛び出してきたグラハムにビリーは少しだけ目を見開いたけれど、すぐに事情を把握したのか今度は驚いたような嬉しそうな顔をしてくれた。 「ああ、受かった。ついさっき通知が届いて」 だからグラハムは今まさに、隣のビリーの家に行ってビリーの部屋に飛び込もうとしてたところなのだ。 まさか扉を開けた目の前をビリーが歩いているとは夢にも思わなかったが、そういえばことグラハムとビリーに関しては昔からこうだった。 望んだときに、望んだタイミングでそこにいてくれる人。なにも云わずとも、グラハムの気持ちを察することに誰よりも長けている人。 「おめでとうグラハム。これで3学級もスキップか。すごいじゃないか」 グラハムの学校はここらでは一番のエリート校で、もちろんビリーもかつて同じ学校に通っていた。頭の良い学校というのは、そこを出たという事実だけで充分なステータスとなるが、グラハムはその中でもさらに上を目指していた。 それにはもちろん、この年の離れた親友の影があることは否めない。むしろ、グラハムはそれこそを追って常日頃から猛勉強をしていたのだから。 「お前には負ける。それに、お前の試験対策テキストのお陰だ」 元々ビリーは1学年スキップしていて、グラハムはビリーを追うように2学年スキップしていた。しかしそれでも学年としてはビリーに追いつけず、幼い頃のように同じ学び舎に通うことができなかったのだ、――これまでは。 「これで来期から同じキャンパスに通えるな」 嬉しくて仕方がなくてグラハムはただ笑うことしかできない。 小さな頃、ほんの数年だけれどビリーと一緒に通学路を歩いたことを今でも覚えている。今度は生活習慣も昔とは変わっているからずっと一緒にはいられないとわかってはいるけれど、それでもグラハムは嬉しかったのだ。 例え隣にいなくても、手を伸ばせばビリーに届く距離にいつもいられるということ。ほんのひとときでも、彼と同じ道を歩めるということが。 「そのことなんだけどね、グラハム」 けれどビリーはどこか考え込むようなそぶりをしてからグラハムに向き合った。 その目は真剣で、グラハムの喜びを一瞬で不安に変える。 「え?」 どうしてビリーはこんな顔で自分を見るのかグラハムにはわからない。とても嫌な予感がした。聞いてはならないと、頭のどこかで誰かが叫ぶ。 けれど聞かないわけにはいかなかった。 それが、他ならぬビリーの言葉だったから。 「残念だけど、僕は君と同じキャンパスには通えない」 「……どういう、ことだ?」 硬いハンマーで頭を殴られたような気分だった。 頭の中がぐるぐるする。いつも理路整然と物事を考えているはずが、パズルのピースを小さな箱に入れて思いきり振ったかのように、思考が落ち着かない。 ――今、ビリーはなんと云った? 「教授の推薦でね、再来月には軍の施設に移ることになった」 「なん、だって!?」 グラハムの衝撃を知ってかしらずか、いや、ビリーのことだからグラハムの考えなどお見通しなのだろう。それでもビリーは淡々と口を開いていた。 レベルは高いがごく一般的な大学に通っていたはずのビリーが、高名だが変人な教授がいるという研究室で前人未到の研究をしていると、忙しいながら楽しそうに語っていたビリーが、どうして軍に行くというのかグラハムにはわからない。 そこにはグラハムの知らない、ビリーを取り巻くもうひとつの世界があったのだという事実を、今さらながらに叩きつけられる。 「そんなこと、俺は聞いていない!」 「決定したのはつい先週のことだよ。不確定な情報で、試験前の君に余計な不安を与えたくなかったんだ。ごめん」 グラハムを傷つけないためだろう、優しく諭すような物言いではあったが、今のグラハムには例えその言葉が投げつけられるようなものであっても大して変わりはなかった。 むしろ、優しくされればされるほど、つらい。 「そんな大事なことが、余計な不安だと!? ……クソッ」 そんなことなら、むしろ一番に知りたかった。必死で勉強をして飛び級をして大学の試験に受かったのは、全てビリーのためだったのに。ビリーもそれを知っていたというのに、どうしてそれを黙っていたというのだ。 ビリーがいなければ、どんな素晴らしい学校であろうとグラハムの目には色褪せたそれにしか見えないというのに。 ……けれど本当は、わかっていた。 だからこそビリーは、グラハムになにも告げなかったのだということを。目指す先のキャンパスにビリーがいないと知れば、グラハムはそれまでやってきた勉強を全て投げ出してしまっただろう。 夢中になればいつまでだって続くグラハムの情熱が、ビリーが絡むと一瞬でそのものが消え去ることがある。ビリーは昔からそれを危惧していた。グラハムにとってそれらはなんの矛盾もない本心からのものばかりだったから、気にすることもなかったのだけれど。 「……ビリーは軍に、本当に行きたいのか?」 「そうだね。軍に、というよりは、好きな研究を思う存分やっていいとお墨付きをいただけたからね。カレッジの研究室ではできないけれど、軍ならばできることもたくさんあるだろう?」 そう云ってビリーはいたずらっ子のように笑った。だいぶ大人びているけれど、昔と変わらないビリーの顔だ。 「そう、か」 ビリーがいなくなってしまう理由が、グラハムのせいではなく彼自身が心から望んだものなら応援しようと思った。ビリーにとってグラハムは、グラハムが思うほどに重い存在ではないのだと突きつけられるのはつらかったけれど、大好きなビリーが望むのならグラハムはここにいてビリーの夢を応援してやるしかない。 「うん。ごめん、グラハム。一緒にいてあげられなくて」 ビリーが優しく囁く。その声が好きだった。 対等であることを望みながら、優しくされることが嬉しかった。べたつかず突き放されず、けれど望むそのときに隣にいてくれるビリーが大好きだった。 けれどもう、離れなくてはならないのだ。ビリーが安心して自分の研究に打ち込むために、ビリーの望む未来を掴むために、グラハムがここで我侭を云うことは、誰でもないグラハム自身が許せないと思ったから。 「軍の変人たちに潰されるなよ、ビリー」 「ああ。せいぜい国費を無駄にしないよう頑張るさ」 笑って送り出す。意地の悪い物言いはせめてもの抵抗だ。叱咤激励とでも思えばいい。 そんな考えもきっとビリーには全て筒抜けなのだろう。その瞳はいつまでも優しくてあたたかくて、グラハムは少しだけ、泣きたくなった。 (飛び級とか学制とかその辺は適当なんで突っ込まないでやってください…) |